夢をかなえよう!賢者の虹の懸け橋

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「考えて、試して、努めて、後は神に託す、これが私の一生だ。」ジョン・ワナメーカー(John Wanamaker)

☆彡今日の一言

考えて、試して、努めて、後は神に託す

 

これが私の一生だ。

 

働いて死ぬのではない。

 

クヨクヨすることが身を殺すのだ。

 

ワナメーカー

 

心(ハート)革命―毎日の生き方 EQを高めることば366

心(ハート)革命―毎日の生き方 EQを高めることば366

 

 

以上は 輪辻潔・森野リンゴ共編 心(ハート)革命 より 一部抜粋

 

 

☆彡ワンモア今日の一言

◆やればできる

誰かが男に向かって「そんなことできるはずがない」と言った。

 

だがその男は含み笑いをしながら「やってみなければわからない」と言った。

 

そして、顔に含み笑いを浮かべながら、課題に取り掛かった。

 

内心は少し不安だったが、そんな素振りは見せずに、歌を口ずさみながら「できるはずがないこと」に取り掛かった。

 

そして、それを成し遂げた。

 

世の中には「そんなことはできるはずがない」と断言する人はたくさんいる。

 

更に途中で棄権が待ち受けていると予言する人もたくさんいる。

 

 だが、とにかく、課題に取り掛かろう。

 

歌を口ずさみながら、「できるはずがないこと」に取り掛かろう。

 

そうすれば、それはできる。

 

 

自分を磨く方法

自分を磨く方法

 

 以上は アレクサンダー・ロックハート著 弓場隆訳 自分を磨く方法より一部抜粋

 

 

★ジョン・ワナメーカー(John Wanamaker、1838年7月11日 - 1922年12月12日)はペンシルバニア州フィラデルフィア出身の百貨店経営者、宗教指導者、政治家。「マーケティングにおける先駆者」ともいわれる。アメリカで郵政長官も務めた。

 

◆生涯
ワナメーカーはのちに南フィラデルフィア地区として知られるようになる地方の合併されていない地域で1838年7月11日に生まれた。1861年、ワナメーカーは兄弟のN・ブラウンと協力して、フィラデルフィアジョージ・ワシントン邸宅横に彼の最初の紳士物衣料店ブラウン・ワナメーカー商会を開いた。

 

店の名前は「オークホール」と呼ばれた。彼は「1つの価格と返品可能な商品」という新しい商売方法で店を発展させ、1869年に2号店をオープンさせた。その後、1875年にワナメーカーは使われていない鉄道車庫を購入し、「グランドデポット」と呼ばれるデパートを建設した。

 

この「グランドデポット」は1つの敷地内に各種専門店を集めたフィラデルフィアにおける最初の百貨店といわれている。1860年にワナメーカーはメアリー・エリンジャー・ブラウン(Mary Erringer Brown)と結婚して6人の子を得たが、うち2人は幼少期に死亡している。また熱心なキリスト教徒であり、フィラデルフィアYMCAの発展に大きく寄与した。

 

◆商人として
ワナメーカーは1896年にニューヨークに百貨店を出店させた。またヨーロッパのワナメーカー家と協力してロンドンとパリにも出店し、海外でビジネスを拡大させた。

フィラデルフィアには、シカゴの有名な建築家であるダニエル・H・バーナムによって設計された「ワナメーカービル」を1910年に完成させた。これはフィラデルフィアの市役所の真向かいに建ち、13番通りとマーケットストリートの交差点の全ブロックを包囲する広さであった。

 

このビルは現在アメリカの歴史的建造物に指定されている。ワナメーカーは控えめな性格であったが、広告の利用と、マーチャンダイジングにおいて革新的なアイデアを実行している。彼は、固定価格システムを発明し、正札販売を実施。現在標準的な商習慣になっている返金可能保障を初めて導入した。

 

また、従業員に対して教育費、保養施設、企業年金と利益の分配といった福利厚生も充実させた。広告を重視したワナメーカーは新聞に見開き広告を載せた初の小売業者と呼ばれる。彼は当初自分でコピーライターを行っていたが、のちに世界初の専業コピーライターとなるジョン・エモリー・パワーズを雇った。パワーズの広告によってワナメーカーの収益は400万ドルから800万ドルに上昇した。

 

◆郵政長官として
1889年にワナメーカーはB・ハリソン大統領によって米国の郵政長官に任命された。

彼は初の記念切手を発行し、また郵政公社に効率性をあげる様々な制度を導入した。
また、合衆国内で初めて地方の郵便業務の無料化を計画したが、1897年まで実行されることはなかった。

 

1890年には高級切手を発行したが、品質が高すぎたために全国のマスコミに否定的に報道された。
また、1891年に郵便集配員のユニフォームの変更を命じたが、ユニフォームの注文をボルチモアのある1社に注文するよう手配したとして、訴訟を起こされている。

 

◆名言
ワナメーカーは数々の名言を残している。
「自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した、軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世界で最も幸福な人だ。」

「広告費の半分が金の無駄使いに終わっている事はわかっている。わからないのはどっちの半分が無駄なのかだ。」

「困難なことは頭からするな、非常に成功の邪魔になる」という人がある。しかし、決してそうではない。人間というものは、困難なことに遭えば遭うほど、ますます新しい力が出てくるものだ。」

「成功の秘訣を問うな。成すべきひとつひとつに全力を尽くせ。」


『私は30年前に、
人をしかりつけるのは
愚の骨頂だと悟った。

自分のことさえ
自分で思うようにならないのだ。

神が万人に平等な能力・知能を
与えなかったことにまで、
腹を立てたる余裕はとてもない。』

『自分の仕事を愛し、
その日の仕事をやり遂げて、
満足して晩酌の卓に帰れる人が
最も幸福な人である。』

『1度に1歩ずつ登っていけば、
たとえどんなに高い山だって
踏破することができるんだ。』

『尽くすことを
正直に試みる者には、
全世界もまた彼に対して、
尽くすことを忘れないであろう。』

『広告費の半分は、
きっと無駄になる。
だけど、どっちの半分が
無駄になるかなんて
誰にもわからないんだ。』

『「困難は避けろ」
という人がいる。
成功への邪魔になるらしい。
だけどそのアドバイス
間違っている。
人間というのは、
困難に逢えば逢うほど、
新しい力が
湧き上がってくるものだ。』

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